2018年02月

福島へ出張してきました。

朝から取材を何件も。電車を乗り継ぎ、駆け回りました。あれ?と思うやり取りもありましたが、染み入る心遣いや心震える取材があって、そういう出会いがありがたくて、、

45歳、子持ちの私。駆け回る取材をしていてどうなんだろうと思います。もちろん自分の子をケアして、家庭を運営した上での、応援する取材や発信です。

辞めざるを得なかった会社。第二の仕事人生。

仕事と子育てが大変なんじゃない。周りの理解がないことが、子の命を預かりつつ仕事もしたい親を迷わせるのです。まだ45歳の自分探しは続いています。

バレンタインの義理チョコなら、社会貢献に。今回はイラクのがんの子が描いた絵をパッケージにしたチョコレート募金の記事です。

 
私は昨年、ドイツでイラクからの難民を紹介されました。やはり絵を描いて心を解放する少女でした。

帰国してJVCさんに取材に行ったとき、ジムネットのチョコ募金のチラシを見つけて連絡しました。

キックオフイベントにも伺い、子どもたちの物語を知り、亡くなったサブリーンの絵を着物にした神野美伽さんの写真を撮りました。

そして今回、福島も支援してきたジムネットの佐藤さんと話していて、縁をおつなぎしました。

私は福島に赴任していた関係で福島のサッカーチームの社長さんと交流があります。ジムネットさんに社長さんをご紹介し、被災地支援の新プロジェクトがさっそく形になりました。

佐藤さんの熱意に負けましたね笑。チョコレート募金のイベント中にお披露目したいから、早く紹介して!とメールがあり、おつなぎして、すぐ佐藤さんが福島に飛んで行ったとか。

そのお話はまたご紹介します。(なかのかおり)

バレンタインシーズン、私も詰め詰めでした。

ジャーナリストがなぜチョコレート?!って感じですか?

以前、白金台のチョコレート専門店や海外から伊勢丹に上陸したショコラティエを取材して、雑誌に記事を書いたことがあります。

チョコレートの健康効果や、本番前にひとかけいただくという世界的なバレエダンサーの話も紹介。

以来、チョコレートには愛着があり、今年は社会貢献のチョコレートプロジェクトをいくつか取材していたのです。

今回の記事は、がんになっても生き生きできる社会を目指す新しいムーブメントのお話です。


私ががんの取材を本格的に始めたのは、およそ20年前。赴任していた福島で、生と死を考える会の方と出会いました。

ドクターやホスピスナース、在宅医、ご遺族、「病院で死ぬということ」の山崎章郎先生を紹介していただき、異例のお正月連載をしたのです。

死を考えることは、今を生きること。

みなさんからもらったメッセージが、今も私の取材テーマになり、悔いなく生きたいと思う力になっています。

今回の記事のムーブメント、ラベンダーリングは、新聞でご紹介して以来お付き合いがあった美容ジャーナリスト・山崎多賀子さんから伺いました。

会場はYahoo!本社。私は昨年からYahoo!ニュースの福祉・医療・労働ジャーナリストとしても活動しており、なじみの場所です。

また子ども向けワークショップがあったので、久々の子連れ取材をしました。

山崎さんのセッションは、モデルのマイコさん、フットサルの久光さんとのトーク。3人は、若い世代のがんサミットにも参加され、お見かけしています。

3人の深いトークと、キッズワークショップの様子を紹介しました。

若年性乳がんフラチームの取材をお願いしたママも、3人のお嬢ちゃんと参加。多様な子どもたちが先生と絵を描き、資生堂さんのサポートで香り玉やグロスを作って、娘もとても楽しかったようです。

その他、就労のお話もありました。私は娘の病気の多さに会社で評価がぼろぼろ、退職につながったので、理解ある会社のお話は気になります。

理解のない会社を批判しているのではなく、知らないことがどれだけ不幸かと伝えたくて、私も仕事と子育てのあれこれを記事でぶっちゃけてきました。

がんの患者さんや障害者の就労についても、長く取材していますが、みんなが働きやすい職場になったらいいと願っています。

写真と記事を編集し、すぐにリリースさせていただきました。こうしたムーブメントは当日、記念すべき1日目に知ってもらうのがいいと思いました。

今はスマホでたくさんの方がニュースを見てくださる時代です。

私も紙媒体20年のキャリアからネットニュースの世界に飛び込みました。ネットはどんな読者がどのぐらい見ているか、どんな情報が求められるかダイレクトにわかります。

もちろん、ネットは世界中から見られるからこそ、取材させていただいた方のフォローも大事ですし、よりクオリティが必要です。

活動を広く知ってもらう後押しになったり、寄付が集まったりという素晴らしい機会にもなります。

私がネットに150本の記事をリリースし、そうした戦略やメディアとの付き合い方も学んでいます。これからお話や講師の機会を作って、現場の方々のエンパワメントに活用していただけたらと思います。(なかのかおり)








おはようございます。

土日は記事書き、取材撮影・記事入れ、シンポジウムで勉強と駆け抜けました。

保育園の土曜保育がありがたい。

娘の習い事と図書館の合間にパソコンを広げ、子連れ取材にも行きました。

このたび、講談社の現代ビジネスサイトにデビューしました。

最初の記事は、長いお付き合いの自殺防止センターについてです。


取材の過程やお付き合いの歴史、なぜ365日、無給で電話を取る夜勤をするのか。

すべて盛り込みましたので、ぜひ読んでみて下さい。(なかのかおり)




節分ですね。

先日、娘たちお姉さんお兄さん組は小さい子の新聞丸め豆を受け止め、先生鬼を退治し、保育園で熱い豆まきが繰り広げられました。

小学校では説明会がありました。

用意するものの多さにガコーン。保育園入園のとき、全て手作りで刺繍やパッチワークまでしましたが、なんせ加齢が進みまして。

キャラはダメな筆箱や下敷き、制服も買わなきゃだしどうしよう。

保育園の5年、あっという間だなあ、とセンチメンタルになるヒマもなく、準備しなきゃいけないことや心構えがたくさんあります。

子どもたちは近隣の保育園や幼稚園、小学生との交流会があるそうで、まさにコミュニティの良さ。お昼寝を減らしたり、ランドセル気分でリュック登園になったり。

まだまだケアや保護は必要ですが、もう赤ちゃんじゃないって親も受け入れるんだなあ。

今回の記事は、昨年亡くなった日野原重明先生について。


新聞記者時代に、命の授業や講演など取材させていただきました。

90代でもお元気でしたね。全国を飛び回って、立ってお話していましたから。

数ある著書のうち、十歳のきみへは、震災があり、親となり、ドイツで戦争から逃れてきた難民に出会った今、読み返すとさらに響きます。

先生の言葉を振り返り、交流があった人たちに取材しました。

一昨年、聖路加病院スタッフによる第九コンサートを取材した時、日野原先生も現れて、ダンケ・シェーン!とコメント。

本当に愛にあふれた、お茶目な方ですよね。

皆さんと思い出を分かち合いながら、私も温かく懐かしい気持ちになりました。(なかのかおり)

濃い1月でした。

時間がたつのが早すぎますね。

新年は病気もはやり、4月入園の準備をする方も多いということで、子どもの病気と時短勤務について記事を出しました。

まず子どもの病気。

記事は、私が数年前に子育て支援NPOのサイトに連載した「アラフォー初めてママのときどきドキドキジャーナル」からの転載です。

保育園でもらう病気の数々と、看病による遅刻早退に欠席。自分もうつって倒れ、修羅場だった。

大変なことはすぐ忘れてしまうため、書いておいてよかった。今、直面している人に役立てばいいなと思います。

3歳になると病気が減るわけじゃなかった。毎月の病気、試行錯誤するも、仕事の評価は下がり…。

続編はこちら。

病児保育室や病児シッター、いろいろ試しました。最初は、高熱でもとにかく預けて出勤。

これは今も私の中ではトラウマなんですね。大変な思いを親子でしたけれど、会社では評価ぼろぼろで退職しましたから。記事を編集しながら、泣きました。

病児保育室は、定員が少ないので予約が大変。申し込み時間も決まっているし、診察もあり、遅刻早退になります。タクシー代もかかりますね。

準備がたくさんあり、着替え、ごはん、おやつ、お昼寝グッズ等、山盛りの用意に名前付け。娘が小さいうちは、知らない場所に置き去りなわけで。なんで行っちゃうの?という娘の目が忘れられません。

シッターも引き継ぎに時間がかかり、料金が高かった。けがをさせられたのをきっかけにそこは退会しました。

周りのママは、家族交代で、病児保育室、在宅で仕事など工夫しています。何かしらの手段を用意してみて下さい。

娘が成長してからの病気対応は、また記事にしますね。

この問題と関わりあっているのが、時短勤務。こちらの記事は、大反響でした。


時短にして、給料カットに評価ダウン。仕事も子育ても中途半端な疲労感がたまっている人が多いのでしょうね。

ママ以外の職場の人も、時短について知りたくて、見てくださったのかもしれません。

時短といっても残業がある、フルだけど融通がきく、持ち帰りの仕事をする、といろいろな例を紹介しました。祖父母の手があるかどうかで格差があることも。

正解はわかりませんが、考えるきっかけにして下さいね。(なかのかおり)


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